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◆Date:2008年07月
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畠中恵『まんまこと』

  • 2008/07/21(月) 09:41:37

まんまこと
まんまこと

この間読んだ『文学賞メッタ斬り!~たいへんよくできました編~』で大森さんと豊さんが揃ってかなり誉めていたので「どれどれ」と読んでみたところ、確かに面白かった。

八つの町を支配する古名主・高橋家の跡取り麻之助を主人公にした連作短篇集。
小さい頃は生真面目で勤勉、両親の自慢の息子だったけれど、16の年を境に突然「お気楽者」に豹変し親を嘆かせている麻之助。
そんなお気楽者が病で倒れた父親の代わりに町人のもめ事を評定することに…果たして上手く収めることは出来るのか。
表題作ほか「柿の実を半分」「万年、青いやつ」「吾が子か、他の子か、誰の子か」「こけ未練」「静心なく」の6編を収録。

お気楽者の麻之助と、同い年の親友・清十郎(女の子に大人気の色男)のコンビがいい。
基本的に自由でまっすぐで、それでいて自分の背負っているものをきちんと受け止めてそれを全うしようという心意気が感じられる若者らしい描写に好感が持てた。

麻之助が解き明かすそれぞれの謎もちょっと判りにくいけど、血生臭いところがないので安心して読めた。

ただ、麻之助が生真面目な青年からお気楽者へ変わってしまった原因はちょっとありきたりかなあ。
しかもそれが一番最初のほうでその原因が明かされてしまう(「噂」としてだけど)というのは。
もちろん読んでいればすぐに判ることだし、真実はもう少し奥が深い物語だったのである意味「ミスリーディング」を誘うための手法だったのかもしれないけど、それにしては真相に意外性が少なくてちょっと肩すかしな感じがしてしまった。
それにその原因に周りの大人(親)たちが全く気づいていないということもちょっと不自然だなと思えた。
もしかしたらみんな判っていて、それでも麻之助の傷が癒えるのを黙って見守っていたのかも。
そのほうがこの物語には相応しい内容だと思うな。

『しゃばけ』同様これもシリーズ化される模様。
それぞれ少しずつ大人になった麻之助と清十郎にまた会えるのが楽しみ。

まんまことうぇぶ

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斎藤美奈子『物は言いよう』

  • 2008/07/13(日) 09:36:34

物は言いよう
物は言いよう

内容(「BOOK」データベースより)
性や性別についての望ましくない言動を検討するための基準です。しかし、意識のありようまではとやかくいいません(心の中で「このブス」「このクソババア」と思うのはかまわない。)せめて、おおやけの場ではそれに相応しいマナーを身につけよう、との趣旨で考案されました。本書を通して、笑いながらFC (フェミコード)感覚を身につければ、いやーなセクハラ、思わぬセクハラとは、もうさようならです。

政治家や作家、文化人などが語った公の発言を「FC(フェミコード)」を基準に考察する、という内容の本。

その発言内容によってFC判断の難易度を★の数(1~3)で示してある。
★1つの発言、例えば

子どもを一人もつくらない女性が自由を謳歌して、楽しんで、年とって税金で面倒見なさいというのはおかしい。

程度なら私にも「(思うのは勝手だけど)それを公式の場で言っちゃダメでしょう」とすぐに判るけど、★3つレベル、例えば

近い将来、日本で新しい小説的思想、思想的小説にはっきりした世界を達成するのは、若い女性だと思います。

あたりになると「え、これのどこが差別なの?むしろ応援してる内容では?」と思えてしまうような内容が多かった。
著者に「これはこうこうこういう理由だからFC的に×なんだよ」って説明されれば「なるほど」と思うものの、うっかりすると自分も使ってしまいそう。
こういうことに敏感でいるのは難しいことだなあ、と思った。

FC的な問題って微妙だからこそちゃんと考えなくちゃならないんだろうけど、あまりにも微妙すぎると「面倒だから触れないほうがいいや」って考えに流れてしまって不可侵領域になってしまうこともあり得るんじゃないのかな。
(放送禁止用語みたいに「言わなきゃいいのか」って感じ)
でも、そうやって隠されてしまうのは却ってマズイことだと思うので、そのあたりのバランスをどうとっていくか、が今後の課題かも。
(と、どうとでも取れる適当な感想でお茶を濁す私であった…^^;)

でも、基本的に一般論として「女性は~」とか「男性は~」とかいった大きなくくりで話をするからつい口が滑っていってしまうんじゃないかな。
そうではなく、目の前にいる誰かをちゃんと見据えてその相手に向けた言葉を発すればFCに引っ掛かることってかなり減るし、もし引っ掛かっていたとしてもお互いにそれについてきちんと話すことが出来るような気がするんだけどどうだろう。

それにしても、かなり有名な、しかもその業界では力がありそうな人ばかりの発言を実名入りで取り上げて、冷静に的確にそのFC的勘違いを指摘する著者の度胸の据わり方に拍手。

大森望・豊由美『文学賞メッタ斬り!~たいへんよくできました編~』

  • 2008/07/11(金) 09:31:09

文学賞メッタ斬り! 2008年版 たいへんよくできました編 (2008)
文学賞メッタ斬り! 2008年版 たいへんよくできました編 (2008)

いつも発行されているのに気づかなくて半年以上経ってからしか読めなかった「メッタ斬り」シリーズ。
今回は発売直後に本屋で発見して図書館に予約したので、2ヶ月遅れで読むことが出来た。
と言っても、実際にここに取り上げられている芥川賞・直木賞が決まったのは去年の10月だからそれから10ヶ月近く経っているわけではあるのだけど。

今回の「メッタ斬り!トークショー」のゲストは芥川賞受賞作家の長嶋有さんと直木賞受賞作家の石田衣良さんのお二方。
長嶋さんは穏やかでちょっと控え目でいい人な雰囲気だったけど、問題は衣良さん。
読む前から「メッタ斬り!コンビと衣良さんって合わないんじゃ…」と思っていたら、やはり…。
メッタ斬りコンビのツッコミに対する、衣良さんの(判っているクセにわざと)核心を微妙にずらした回答が噛み合わないこと!^^;
衣良さんの受け答えってなんとな~く勘に障るんだよねえ。
作品は好きだけど、あまりお友だちにはなりたくないタイプだなあ…。
と言って、メッタ斬り!コンビだったらいいかというとそうでもないけど(笑)

各文学賞候補作・受賞作、選考委員へのコメントは、いつも通り。
唯一違うのはいつも「大ハズレ」で終わっている芥川・直木両賞の予想が、何と両方とも大当たり(138回。芥川賞/川上未映子『乳と卵』、直木賞/桜庭一樹『私の男』)だったこと。
こういう企画は「何だかんだ言っても思った通りにはならない」というのが次回も続ける存在意義になるんじゃないのかな。
そういう意味でこの企画も「その役割を終えた」ってことなんだろうか…?
確かに最初の頃のパワーはなくなって、内輪受けで成立してる部分が多くなって来ているように思えるし、何よりやっぱり1,400円は「高い」と感じてしまうところがね~。
(図書館から借りて読んでるのに値段に言及する私もどうかと思うけど^^;)

企画自体もマンネリしてる気がするので、ここで心機一転ふりだしに戻って再構築してみるのもいいのかも。

ちなみに先日発表された第139回の芥川賞・直木賞候補は下記の通り。
<芥川賞>

  • 磯崎憲一郎「眼と太陽」
  • 岡崎祥久「ctの深い川の町」
  • 小野正嗣「マイクロバス」
  • 木村紅美「月食の日」
  • 津村記久子「婚礼、葬礼、その他」
  • 羽田圭介「走ル」
  • 楊逸「時が滲む朝」

<直木賞>

  • 井上荒野『切羽へ』
  • 荻原浩『愛しの座敷わらし』
  • 新野剛志『あぽやん』
  • 三崎亜記『鼓笛隊の襲来』
  • 山本兼一『千両花嫁』
  • 和田竜『のぼうの城』

相変わらず、殆ど知らない作家さんばかりだ…^^;
選考会は7月15日。

あと、こんなニュースもあったり。
伊坂さん直木賞予選前辞退  「ゴールデンスランバー」

藤本由香里『私の居場所はどこにあるの?少女マンガが映す心のかたち』

  • 2008/07/05(土) 09:25:22

私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち (朝日文庫 ふ 26-1)
私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち (朝日文庫 ふ 26-1)

内容紹介
1960年代末から90年代末頃までの少女マンガの描写から、その心理や内面に焦点をあてて分析。女性の恋愛観、セクシュアリティ、家族観、職業観の変化を精緻に追う。同時に少女マンガにおける性的指向に関する描写の変遷もをたどりつつ、来るべきトランスジェンダーの時代の幕開けを告げる。「居場所」を求めてさまようすべての人々に贈る必読の書。少女マンガ評論の新境地を拓いたと評価の高い幻の名著、待望の文庫化。

面白かった。

かなりガッツリした評論作品だったけど、文章が読みやすかったし、何より対象が私も親しみのある「少女マンガ」だということで非常に楽しく読めた。
特にこの作品が単行本として出版されたのが10年前(つまりそれより前の作品しか扱われていない)で、最近はとんとマンガから遠ざかっている私にも理解できる作品が多かったのが嬉しかった。

でも、面白かったけど、実際に自分がマンガを読むときにこの本の中に書かれているようなことを感じながら読んでいたのか?というと、それは疑問。
なので、「なるほど、そういう考え方も出来るのね」とは思ったけど、「そうだったのか、納得した」という感じではなかった。
少女マンガは「ジェンダー」とか「アイデンティティー」というものに深く関わっているという主張で、それは私もそうだろうなと思うけど、それ以前に私はただ単に「面白いから」読んでいたって意識しかなかったから。
(それとも自分が意識しないどこか深い部分でそれを感じていたんだろうか?)

ビックリしたのはこの本の中でいくつかの作品のあらすじが解説されている部分があるんだけど、それが私も何度も読んでよく知っている大好きな作品であるにも関わらず「ええっ、あのマンガってそんな内容だったっけ?」ということが多かったこと。
特に萩尾望都さんの作品(例えば「スターレッド」とか「マージナル」とか)は、私が覚えている内容と比べると「別作品?」と思えるくらい違っていたので思わず笑ってしまった^^;
一体私は何を読んでいたのであろうか?
読み流すにもほどがあるって感じだなあ(笑)
確かコミックスや文庫で持っていたと思うので、もう一回改めて読み返してみよう。

それと気づいたことが一つ。
私は作品を読むときに主人公(を始めとした登場人物)に自分を重ねるということを殆どしないということ。
これはマンガ以外の作品(例えば小説やお芝居や映画とか)でも同じ。
感想として「もし私だったら」と考えることはあるけど、基本的にいつも作品は「作品として」鑑賞しているなあ…ということを、この本を読んで確認した。
だから、入り込める作品になかなか出会えないのかも。
その分、この本にあるようにそれを読むことで葛藤したり考え込んだりはあまりしないし、作品のイメージや雰囲気に囚われてしまうことがないので、どんどん色んな作品をサクサク読んでいけるってことでもあるんだろうと思う。

そんな私でも物心付く前から20年以上に渡って読み続けた少女マンガから受け取ったものは計り知れないほど膨大である。
文庫解説で作家の三浦しをん氏が

「心身の構成成分の大半が少女漫画」

と書いているけど、私も「大事なことはみんな少女漫画から教わった」なあ。
考え方の基本的な部分とか、人との関わり方、更には生きていくのに絶対必要ない知識までいろんな部分で今の私の血となり肉となっていることがたくさんある。
(少女に限らず)漫画というメディアにはそういうパワーがあると思うので、これからも良質な作品を提供し続けていって欲しいなあ、と思う。

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