ページ内記事タイトル一覧

◆Date:2005年01月
ALL

フリーエリア

テスト中。ここはフリーエリアです。

スポンサーサイト

  • --/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

筒井康隆『富豪刑事』

  • 2005/01/21(金) 12:26:52

富豪刑事
筒井 康隆
筒井康隆/富豪刑事悪の限りをつくして一代で財を成した大富豪・神戸喜久右衛門の一人息子・大介は地元の警察署で刑事として働いている。
過去の悪事を反省し、人のため社会のために自分の財産を使うことに目覚めた父親の財力を武器に大介が難事件解決に挑む。

今月からテレビ朝日で始まった深田恭子主演の同名ドラマの原作本。


面白かった(^^)
別にストーリーとか謎解き自体はそんなに凝ったものではないし、多分作者もそうした部分だけを中心に書こうとしたわけではないのだろう。
この作品の一番のポイントはそのタイトルロール、「富豪刑事」こと主役の大介のキャラクターだと思う。

最初は単に「お金はあって当たり前。お金で解決するならどんどん使えばいいじゃない」的なキャラクターなのかと思っていたら、 さすがは筒井御大。
そんなに単純なヤツを主役に据えるわけはない。

大介は資産家である父を持つ自分、人よりお金が自由になる立場である自分を認めていて、それを後ろめたく思っているわけではない。
が、同時にそのお金の大半は自分ではなく父親のものであり、自分個人は「刑事」であるということも認識している。
そしてその、ある意味相容れない2つの側面を同時に持つ立場である自分を少々持てあましていたりする。
つまり、大介は当たり前すぎるほど、当たり前な感覚の持ち主として設定してあるのだ。

しかし、この作品の中では「当たり前」であることの方が異端(と言うと言葉が強すぎるけど…相応しい単語が見つからない)になること、 そのギャップこそがこの作品の面白さなのだと思う。

事件を解決するために結果的に大介は父親からの援助で大金を使っていくことになるわけだけど、 そのどれもただ単純にお金を出すという展開ではない。
犯人や世間や一般常識や法律などになるべく触れないような形で実現されていくのだ。
その手間の掛け方がとても面白かった。
と言っても、やっぱり普通に見れば「そこまでするかい!」って話ばっかりだけどね(笑)
特に犯人逮捕のために会社を一つ作っちゃう話は!

大介の上司・同僚たちのそれぞれ個性的なキャラクターも楽しいし、何よりも大介の父親・喜久右衛門が最高にいいっ!(^^)

あ、あとね、面白いな~と思ったのは、よく推理小説で主人公が「本人は一般人だけど身内に警察の偉い人がいる」って設定があるでしょ。
そういう作品って、何故かその主人公まで警察に丁重な扱いを受けてるよね。
でも、この作品は主人公の父親はビックリするくらいお金持ちだけど、 本人はヒラ刑事なのでみんなにバカにされたり軽くあしらわれたりしちゃうんだよね(笑)
これって結構凝った設定だよねえ。

これは推理とか謎解きとかあまり考えずに、キャラクターと話の展開をそのまま楽しむのが正解の一冊。


<関連サイト>
「筒井康隆ホームページ」
公式サイトです。

スポンサーサイト

北原保雄 編『問題な日本語-どこがおかしい?何がおかしい?』

  • 2005/01/15(土) 12:19:50

問題な日本語―どこがおかしい?何がおかしい?
北原保雄 編/問題な日本語-どこがおかしい?何がおかしい?

へんな日本語にもわけがある…
「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」「こちら和風セットになります」「全然いい」など、気になる、知らないうちに使っている “問題な日本語”を取りあげ、それがどのような理由で生まれてきたか、どのように使えばよいかを、日本語の達人、『明鏡国語辞典』の編者・ 編集委員がわかりやすく解説!
(「大修館書店ホームページ燕館」 内書籍紹介のページより転載)


最近話題の本。
初版が12月10日で、私が購入した1月10日版はすでに第4刷と売れ行きも好調な様子。
確かに面白かった。

この本の面白さはその対象となっている内容が日頃よく耳にする言葉であること。
例えば「こちら~になります」、「よろしかったでしょうか」、「~のほうをお持ちしました」、「私って~じゃないですか」、「みたいな」、 「こんにちわ/こんにちは」、「猫に餌をあげる」、「わたし的には~」…などなど。
どれもどこかで一度は聞いたこと、そして「ん?」と思った経験がある言葉なのでは。
そうした今現在、日常的に使われる"怪しい"日本語を『明鏡国語辞典』 の編集委員5人が文法的な見地プラス現状の使われ方を考え合わせた上で「現在の用法として妥当なのか、誤用なのか」を解説している。

解説の文章は少々硬いし、文法的な説明には難しい部分もあるけれど、全体的には用例を多く紹介して「こういう時に使うのと、 こういう時に使うのは違うでしょ?」と具体的に説明してあるので判りやすい内容になっている。

何より私が好ましく思ったのは、現在使われている用法が過去からの文法としては誤用だからと言って単純に「間違いだ」 と決めつけていなかったこと。
現在の普及度合いが進んでいたり使われ方の法則をきちんと説明出来る言葉(用法)であれば「必ずしも間違いではなく、 今後の動向を見て判断したい」と言う結論を与えているものが多くあった。

私が面白いと思ったのは「雰囲気」を「ふいんき」と読む人が増えている、と言う質問の項。
さすがの私も「そんなの漢字で書いたら違うってわかるじゃん」と思うような質問なのだが、この質問にさえも回答者は

現時点では明らかに誤用ですが、今後広く定着する可能性が全くないとは言い切れません。

と書いているのだ。
なんと心の広い見解!
確かに誤用であれなんであれ、その使い方が広がってしまうことのブレーキにはならない。
漢字を音に変換するのではなく、口に出して言いやすい、耳で聞いてすんなり理解されることのほうが言葉として定着するには重要なことである、 と言う説は納得できる。
更に驚いたのは、私たちが現在日常的に使用している「あたらしい(新しい)」、「さざんか(山茶花)」がそれぞれ元は「あらた」、 「さんざか」であった、と言う記述。
これらも使われているうちに並びが入れ替わり、そのまま定着してしまったらしい。
これが書いてあるからこそ、前の記述にも説得力が出るというもの。

上記のように、国語辞書の編集者として日常的に言葉の動向に気を配っている彼らの方が「言葉とは時代によって変化するもの」 として柔軟に受け止めている様子が非常に印象的だった。
思えば辞書の編者と言うのは、「言葉を守るもの」ではなくて「言葉を"見"守るもの」であるのかも。
その流れがどこに行こうとも、それを戻したり正しい(であろう)方向に修正することはせず、ただその流れが今どこにあるかを見つめること。
そして何故その場所にそれがあるのかを後に残すために記録する役目の人たちなのかも…などということを考えてしまった。

この本はその見守る人々からの'04年末現在の「定点観測」ってことかな。

本編の内容を受けて挿入されている いのうえさきこさんの味のある4コママンガも楽しかった。
※リンク先のご本人もホームページも面白くてオススメ!

それにしても、日本語を文法的に理解するのは難しいことだよなあ…^^;

小田桐誠『テレビのからくり』

  • 2005/01/14(金) 12:15:30

テレビのからくり
小田桐 誠
小田桐誠/テレビのからくり

■内容紹介■
地上デジタル放送開始、視聴率買収事件など風雲急を告げるテレビ業界。現場からトップまで、広範な生の声を基に、 実態を活写する
文藝春秋公式サイト 「書籍ショールーム」の紹介文より転載)


TVは足の早いメディアなので、それを語るのに何年も前の話を持ち出されても読んでいるこっちは「何のことやら」になってしまう。
その点 本書は昨年の12月発行なのだが、 その直前に起こったNHKの一連の不祥事についても触れているなど新鮮な話題も取り上げようとしているところは好印象。

詳しく触れているのは「なるほど!ザ・ワールド」や「アメリカ横断 ウルトラクイズ」など少々古めだったのが残念だが、 当時の制作に直接関わったスタッフへの発言を多く引用して内容に説得力を持たせている。
開始当時の苦労話や成功の秘密など、その番組に親しんだ私には興味深い話も多く、楽しく読めた。
著者の文章もスッキリまとまっていて読みやすかった。

ただ、こうした成功の話については詳しく書く一方で、(多分かなり多いのではないかと想像される) 不祥事やスキャンダル的な内容は多少そのさわりの部分が書いてある程度に留まり踏み込んだ記述がなかったのが残念。
私を始め読者としてはそういう話の内部事情をこそ知りたいと思っているので、(いろいろ事情はあるのかも知れないが)その辺りをもっと詳細に書いて欲しかった。

荻原規子『空色勾玉』

  • 2005/01/10(月) 23:34:53

空色勾玉
荻原 規子
荻原規子/空色勾玉狭也は羽柴の山里に住む村娘。
繰り返し夢に見る幼い頃に5人の鬼に追われた記憶だけが唯一の不安だったが、それ以外は貧しいながらも平和に暮らしていた。
しかし美しく育った狭也が15の年の村祭りの夜に狭也の不安は現実になる。
5人の見知らぬ、不吉な集団が狭也の元に現れこう告げたのだ。
「お前は水の乙女。闇(くら)の氏族の巫女姫の生まれ変わりだ」。
その日から狭也の運命は大きく変わり始める…。


噂通り面白かった。
個性的なキャラクター、奥行きのあるストーリー展開、明確で判りやすいテーマ、適度な緊張と緩和、そしてラブストーリー。
古代日本の神話をベースにその設定を生かしながら、新しいキャラクターを登場させることでその世界を判りやすく新しく描いてあり、 とても楽しく読むことが出来た。

私が好きだったのは伊吹王と岩姫だな。
やっぱりオトナはこのくらい度量が大きくて、優しくかつ厳しいのが理想でしょう。
若者の持つエネルギーや熱意と言うのは確かに素晴らしいけど、それを失った時に得られる大人の思慮や判断力や包容力がある。
この物語が安定しているのは若者だけで突き進んでいくのではなくて、 その傍らにしっかりした指標となる大人がいてちゃんと道を指し示しているからではないかな。
その中でも伊吹王と岩姫の優しさ、大きさ、暖かさは素晴らしく、最後まで他人を思いやりながら消えていく2人の最後の場面は涙なしでは読めなかった。

しかし、感動しつつも「狭也と鳥彦ってサリーとカブみたいだわ~」と思っていた私はやっぱりオバサンかしら(笑)


<関連サイト>
「時の娘」荻原規子氏公式サイト

カール・ハイアセン『ロックンロール・ウイドー』

  • 2005/01/08(土) 23:27:04

ロックンロール・ウイドー
カール・ハイアセン
カール・ハイアセン/ロックンロール・ウイドージャック・タガーは地方紙の新聞記者。
元々優秀な記者として第一線で活躍していたが、新しい社主との確執から現在は死亡欄担当記者に甘んじている。
ある日、ジャックはかつてグラミー賞を受賞した実績もあるロックスターであったが今は過去の人となっていたミュージシャン、ジミー・ ストマが南の島でダイビング中に死んだことを知る。
最初は死亡記事を書くためにジミーの周辺取材を始めたジャックだったが、調べを進めるうちにその死に疑問を持ち始める。


去年最後に読了した本。

石田衣良氏推薦の歯切れのいい文体はなるほど読みやすいし、現役&往年のロック・ スターの名前がそこここに登場するので音楽好きにとってはニヤリとさせられる部分が多かった。
全体的に言えば面白い部類に入るんだけど…。

この物語には【A】ジャックが追いかけるジミーの死の真相、【B】ジャックの所属するユニオン・レジスター紙のお家騒動、 【C】ジャックの失われた父親に由来する<死>への恐怖、と大きく分けて3つのテーマが盛り込まれていて、そこにジャックの仕事上 及びプライベートの人間関係が絡んでくるという構成になっている。
このテーマ自体は3つとも面白いと思うんだけど、 それぞれの分量がどれも大きすぎて情報量が膨大になってしまい全体的な流れが淀んでしまった、と言う印象。
全てに置いて前置きと周辺情報が長すぎて結局何が問題なのかがなかなか見えてこないことが、私にはかなりストレスだった。
本題に関係ない記述が多くてしかも長いのもちょっとね。
特にアンの新しい恋人であるベストセラー作家についての言及なんてあそこまで書く必要あるのかなあ??

死に対して異常な恐怖を抱いているジャックが有名人の享年をいちいち諳んじている設定とか、冷凍トカゲや老死亡記事担当記者、 ジャックの47歳のバースディに母親が贈ってきたプレゼント(ジャック・ママは一番好きなキャラクターだった) とか面白いエピソードはたくさんあったんだけど。

全部一緒にしないでどれか1~2つだけコンパクトにまとめて書いたほうがスピード感があって面白い作品になったんじゃないかなあ…なんて、 偉そうに書いてしまうのであった。
私は個人的にはA.よりもB.のテーマの方が好きなので(笑)、B.とC.の組み合わせの作品が読んでみたいな。
って、それじゃあ全然「ロックンロール・ウイドー」じゃないか^^;


<関連サイト>
「Carl Hiaasen's Official Web Site」
著者のオフィシャルサイト。英語です。

阿川佐和子『恋する音楽小説』

  • 2005/01/08(土) 23:17:40

恋する音楽小説
阿川 佐和子
阿川佐和子/恋する音楽小説FMラジオで放送された音楽番組のために書かれた音楽にまつわる物語。
史実と想像を交えて描かれる音楽家やその家族、恋人たちの語る19の短篇を収録。


阿川佐和子さんの作品というとエッセイしか読んだことがなかったので「小説も書くんだ(意外)」と言うのが第一印象。
(寡聞にして存じ上げなかったが、処女小説 『ウメ子』は坪田穣治文学賞を受賞しているらしい。失礼しました。)
でも、この本の内容は長さにして10~20ページ程度、しかも語り手が音楽家本人、またはその関係者の一人称であるし、 内容も重くないので<小説>と言うよりも<エッセイ>に近い感覚でサクサク読めた。

語り手によって自在に変化する語り口(文体)が、その物語世界に読者を素早く、違和感なく誘い込むことに成功していると思う。
ただ、最後にちょっとひねろうとしている作品がいくつかあるのだけど、読んでいる途中でオチが見えてしまうものが殆どで、 しかもそのひねり方が中途半端であまり驚きがないものが多かったのが残念。
ひねりを入れるにはあまりにも素直すぎる書き方なのだろうな、と思う。
却ってストレートに自分と相手の過去や現在をそのまま語っているものの方が力があって面白く読めた。

舞城王太郎『熊の場所』

  • 2005/01/06(木) 16:56:59

熊の場所
舞城 王太郎
舞城王太郎/熊の場所小学5年生の僕はある日クラスメイトのまー君のランドセルから切り取られた猫のしっぽが転がり出すのを目撃してしまう。
恐怖にかられて一旦は学校から逃げるように家に帰り着くが、以前父親から聞いたある体験談を思い出し自分の恐怖と立ち向かう決心をし、
まー君を捜し始める。
表題作と「バット男」、「ピコーン!」の中編3作を収録。



これは好き。
面白かった。
『煙か土か食い物』を読んだときのような頭をガクガク揺さぶられるような衝撃はなかったけど、
文章がスルスル~ッと頭に入ってきて最後に気持ちにちゃんと残るものがあった。
小学生とか中学生とか高校生とか、学校に行っている年齢の登場人物が出てくる物語を読むと、
どうも自分がその年齢当時の感覚と重ねてしまう部分がある。
で、何となく違和感を感じることが多い。
(年齢のわりに)「オトナすぎる」とか、逆に「子供っぽすぎる」とか。
もちろん自分とは年代や環境が全く違ったりしているし、何より「小説」なんだからもともと比べられるものではないと判ってはいるんだけど。

この本の登場人物たちもみんな学校に行っている年齢。
「熊の場所」は小学生、「バット男」は高校生、「ピコーン!」は学校には行ってないけど年齢的には(多分)高校生くらい。
でも、この本の中の登場人物たちについては全然違和感がなくてすごく自然な感じで読めた。
内容についても相変わらず暴力的な記述が多くて、実際にこんなことがあったら顔をしかめるような内容ばかり。
私の知っている学生時代とは全くどこも重なる場所がないし、今現在その年代の人たちと比べてもあり得ない状況である。
いつもだったら小説の中の表現でもあまり得意な分野ではない。
でも何故か舞城の作品だとこういう内容もサクサク読めてしまう。
それは多分、その表現の中に人間の発するマイナスの感情が入り込んでいないからだと思う。
登場人物たちは自分の置かれた状況や環境に困ったり、落ち込んだり、怒ったり、苛立ったりするけど、絶対諦めない。
何故なら、自分の人生を切り開けるのは自分だけだから。
生きている限り自分を誤魔化し続けることは出来ない。
だから、自分のオトシマエは自分で付ける。
「熊の場所」に戻って。
その、ブレのない、真っ直ぐ前を見据えた眼差しがこの作品たちに清々しい佇まいを与えていると思う。


この本に入っている3つの作品はそれぞれ段組や上下左右の余白の大きさが違ったり、
フォントが違ったりしていて一冊の本なのに物語ごとに「見た目」がかなり違う作りになっているのも面白かった。
※フォントについては、奥付のページに使用フォントが紹介してある。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。